ユング『赤の書』を学ぶ 2

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今日はお雛様を飾ってお祝いする桃の節句ですね。日本の行事は四季の移ろいを感じさせてくれるので、風情があって良いなあ、と思います。

先ほど、ユングの『赤の書』について学ぶ講義から帰ってきたところです。私は嬉しくてかなり興奮しています。知りたかったこと、語りたかったことが、まさに講義の中で起こっています。そして、私が知らなかっただけで、心理学の専門家(多分ね。実際の職業は聞いていないけれど、大半は精神分析家のはず)にも、こんなにスピリチュアリティについて真剣に考えている人たちがいるんだ、と分かったことも収穫でした。ユング派は、他の心理学のアプローチとは一線を画していますが、私が想像していたより、かなり深いことスピリチュアリティに突っ込んで研究しているんだと、良い驚きでした。

クラスはちょっとしたハプニングで始まりました。先生の用意した画像がどうしてもプロジェクターに映らない、というアクシデントがありました。しかし、この先生は全く落ち着いていて、「じゃあ、他のことをしようか」って。

そして「預言者とは何者か?」に始まり、クラスに投げかけた次の質問はサイキックについて。「あなたがサイキックに行くときは、一体そこで何が起こっていると思うかい?」って。この質問には沢山の意見が出ました。そうして自ら目には見えない何者かとコンタクトしている、という人もいました。ある人は、サイキックは自分がスタックしている(行き詰っている)領域に連れ行ってくれて、そこから自分を押し出してくれる、という人もいました。そう答えた彼女に対して、先生は「じゃあ、シュリンク(精神科医を皮肉って呼ぶときの名称)とどう違うんだ?」と聞くと、その彼女(この人はおそらく心理学の専門ではないと思います)は、「安いから。一回きりだから」という反応をして、クラスの笑いを取っていました。

現時点で私は、サイキックとシュリンクの違いは魂について話をするか、ということだろうと思います。一般的なセラピーではこころについて話はしても、魂や、DivineとかSomething Greatと自分の繋がりとか、昨日のブログ記事に書いたような「相手のSoulを見ろ」、なんてアプローチはしませんからね。

先生はまとめとしてサイキックは集合としての価値を得ていない、と言っていました。要は社会的価値からはずされている、ってことでしょうかね。

まあ、そんなこんなのクラスの前振りは大変盛り上がったのです。そうして、クラスメートの多くは外国語のアクセントがあることにも気づきました。白人が全体の9割以上を占めるので、ヨーロッパ出身の人が多いということですね。これもちょっと意外というか、予想していませんでした。

さて、肝心の『赤の書』についての講義はユングが予言ということに言及していることから始まります。ユングはユダヤの預言者アイザイア(後記:日本語だとイザヤになるのですね)について言及します。Divineにアクセスして、その力によって話しをさせられるというミッションを受け入れた人として、預言者のことを語っています。これはアイザイアを用いてユング自身のことを語っていたのでしょうね。

『赤の書』の中には沢山の引用があるのですが、それは全て緻密に計算されてユングが用いたと先生は教えてくれました。盛り上がってきたところで、クラスの時間切れ。いやあ、意見も活発に出て、しかもかなりオープンで楽しいクラスでした。来週も楽しみだ! オーリーも言っていたけれど、この先生はハッキリとした結論は言わず、受け手に考えさせ、受け手なりのアイデアをまとめさせるのがとても上手いと思う。いやあ、良い先生にも出会えて、これも嬉しい限りです。クラスの最中の将来したいことの閃きもありました。でも、これはかなりの長期戦になるし、郊外で小さな家が買えるくらいお金も掛かるので、どうなりますやら。知的刺激というのは、何とも気持ちが良いのであります。



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by sakurasikibu | 2010-03-03 21:51 | 最近はまっているもの