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怪我の功名 ①

昨年9月に右股関節に腱鞘炎を患い、その後8ヶ月ヨガの練習ができなかった。怪我をする以前はヨガには週に3-5回通い、もし事情が許すなら(つまりは仕事をしなくても良いなら)、一日2回くらいしていたいと思うくらいヨガに夢中だった。
その頃は運動量の多いアシュタンガやヴィンヤサでもアドバンスのクラスを好んで取っていた。汗をぐっしょり掻く系のきついヨガクラスの後の爽快感がたまらなく好きだった。そして、難易度の高いポーズを次々に覚えていくのも面白くて仕方がなかった。筋力を要するポーズが出来るようになると、自分の精神までが強くなったような気がして嬉しかった。
怪我の功名 ①_f0085875_10584954.jpg 

こんなポーズが出来た日は本当に幸せな気分だった。






怪我の回復期からまたヨガを始る。例のジョナサンの指導のもとおっかなびっくりと。また怪我をするのはまっぴら御免という気持ちが強いからだと思うが、初心者向けのクラスを取ることがほとんど。でも、以前には感じられなかった喜びを覚えている。まず、またヨガが出来るようになって、それが本当に心から嬉しい。ヨガの出来ることへの感謝の気持ちというのだろうか、マットの上に上がれることが何より嬉しい。そして今まで特別に注意も払わなかった基本のポーズの真髄をようやく学び始めた。
怪我の功名 ①_f0085875_11114737.jpgたとえばこのプランクポーズ。 以前は当たり前に出来ていると思っていたけど、それは勘違い。ジョナサンに正しいポーズを教わると、この休憩にも近いと思っていたこのポーズが実はなんともキツイものだと初めて知る。ヨガに対して、謙虚な気持ちになっている。そして勘違いしていたなあ、と過去の自分を振り返り、そう思う。アドバンスのポーズが出来ることがヨーギ/ヨギーニにとって重要なことではなくて、ヨガの練習を通して何を自分が学ぶかが大切なんだと痛い経験を通してやっと分かる。形は後から付いてくるもので、それを追いかけちゃいけない。

これって日常の暮らしについても同じことが言えると思う。派手な出来事などなくても、毎日の一見平凡なことに大事な意味が隠されているということ。ちゃんと注意を払えば、今まで見えなかったことが見え、それから学ぶことがあるはず。幾つになっても刺激の多いことが好きな私だったけれど、ようやくしっかり地に足がついて着いてきたのかもしれない。

by sakurasikibu | 2006-07-30 23:37 | ヨガ