カテゴリ:映画( 8 )

不思議の国のアリス

今日もブログにお越しくださって本当にありがとうございます。

オスカーナイトの今晩、友人と3人でティム・バートンの『不思議の国のアリス』を観て来ました。映画好きの人に取って、一年に一度の大イベントの日なので、皆テレビに噛り付きかと思いきや、映画館は観客で一杯。上映開始時刻ギリギリに辿り着いた我々は席を選んでいる余裕がない。行った映画館はリンカーンセンターに近いIMAX シアター。何でもNYCで一番大きな画面で3Dが見れるんだそうだ。だっていうのに、遅くに行ったものだから、3人で並んで座れる良い席なんて、もうないのだ。私は離れて座っても全然構わないタイプなのだけれど、一緒に行った二人は気を遣ってか、3人並びの席が良かったらしい。

で、見つけた席はど真ん中の最前列。予告が終わって、本編が始まるとさすがは大きなスクリーン。左右の端は一目しただけでは視野に入ってこない。飛び出る3Dも近すぎて焦点が合わないこともしばしば。大迫力の画面が超裏目にでてしまうんですね、最前列では・・・。目がこの超近視状態の3Dになれるのに多分45分くらい掛かりました。途中で頭は痛くなってくるし、軽い吐き気も感じていて・・・。

主役のアリス役のオーストラリア女優、ミア・ワシコウスカははまり役だったと思う。幼さのたっぷり残る、頼りなげな少女から、果敢な少女、そして自立した女性に変化していく様は私好みの映画の展開だった。赤の王女役のヘレナ・ボナム=カーターは、期待をはずさない演技だった。マッド・ハッター役のジョニー・デップも最後のダンス以外はいつもの彼らしい、エキセントリックな役柄を好演していた。映像も綺麗だったし、コスチュームも良かった。白兎の宮廷での衣装がとても可愛くて気に入った。

でもね、ルイス・キャロルの原作の良さは言葉遊びにあって、人間の内面をもっと深く味あわせてくれていたと思うんだよなあ。ルイス・キャロルは数学者でもあったから、言葉で数式のような遊びをするのが得意な作家で、原作にはそれがふんだんに使われていて、それがファンタジーの世界と共に彼の作品の魅力だと思うんだけれど。哀しいかな、ハリウッド映画になってしまうと、やっぱりアクションは欠かせないみたいだ。映画の後半はアクションが横行していて、私は興ざめしてしまった。

シザー・ハンズの頃のティム・バートンの作品はもっと繊細で心がほっこりする感があったのに、段々と特にリメイクをするようになってから、私がいいなあ、と思っていた彼の良さが減ってきている気がするんだけれど。そんな風に思うのは少数派なのだろうか・・・。

3Dを見に行かれる皆さま、座席は後部でお願いいたします!



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by sakurasikibu | 2010-03-07 23:58 | 映画

The Soloist

今日もブログにお越しくださってありがとうございます。

今日は感謝祭から続いている連休の中日。仕事が嫌いなわけでは決してないけれど、自分のやりたいことだけしている休日というのは本当にありがたいものです。

感謝祭の当日は普段の3~4倍くらいのお食事を頂いた気がします。お昼から夜中過ぎまで延々とご馳走をいただいていて。そうなると急に胃拡張になったかの様に、昨日はバターたっぷりのパンケーキやラーメンなど普段食べないジャンクフードが食べたくなり、またお腹いっぱい食べていました。そして今日は奈津子さんのお料理教室で美味しいマクロビを頂き、また健康的な食生活にリセットできそうです。

さて、今日は映画のご紹介。ひょんなきっかけで観ることになった”The Soloist." 今春に公開になったあるホームレスの男性の実話をもとにした映画です。

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たった2本の弦しかないバイオリンでホームレスの男性(ジェイミー・フォックス)が立派な演奏をしています。その演奏に魅了されたロサンジェルス・タイムスのロペス記者(ロバート・ダウニー・Jr)がナサニエルというそのホームレスの男性の半生を取材し始めます。

NYにはJulliardという芸術学校があり、特に音楽科は世界的に有名な学校です。ナサニエルはそのジュリアードでチェロを勉強していました。在学中に統合失調症を発症して、演奏を続けることが不可能になった彼は流れ流れてロサンジェルスでホームレスとなっていました。

ロペス記者の書いた記事がもとになって、ナサニエルはちゃんと弦の揃った立派なチェロを手にして、またチェロを演奏し始めます。舞台に立って演奏をする機会も得たけれど、幻聴にさいなまされて演奏ができませんでした。統合失調症という病気と付き合って生きていく人生について深く考えさせられました。

私は病院の精神科の成人病棟で仕事をしていますが、大半の患者さんはこの統合失調症を患っています。みな薬の服用を勧められています。私の職場に来る方たちは、精神病のために自己、もしくは他者に対して危害を加える可能性がある人がやってきます。統合失調症の方は幻覚や幻聴に惑わされて、日常生活がちゃんと送れなくなったり、自身や他者に危害を加えたりする危険性がある人が来ます。薬を服用することで、それらの幻聴や幻覚が軽減もしくは消失して、危険な状態から脱することが治療上とても重要になります。安全な状態になったら、外来病棟での治療を続けていただきます。ただ、この外来治療を続けることが難しくて、また病院にやってくる人が大半であったりすることも実情です。

幻覚や幻聴があっても危険な状態でない人には薬を服用することを強要することはできませんし、病院にもやってきません。薬の服用によって幻聴・幻覚がなければ社会復帰をすることも可能な状態になります。でも本人が望まなければ、薬の服用はないんですね。映画の中でホームレスのシェルターにいるある女性が幻聴があることは彼女を慰めてくれる心地の良いものだ、と。でも薬を取るとそれがなくなってしまうし、何だか自分自身でいる気がしない、と。

ナサニエルも演奏を前にストレスが彼の極限に達し、暴力的な行動を取るシーンもいくつかありました。でもなぜか彼は病院に送られることもなく、普段の生活を続けていきます。でももうホームレスではなく、ちゃんと屋根のあるシェルターでの生活も続け、途切れていた家族との交流もまた始まりました。そしてロペス記者との交友関係も続いています。ホームレスの人というのは一時はシェルターに入っても、究極の自由人なので、ストリートで暮らす方を好む人が圧倒的に多いんですね。

このロペス記者というのはユニークな存在だな、と思います。統合失調症の人特有の筋の通らないというか、理論的でない会話にもちゃんとまじめに付き合い、その中でナサニエルが本当に言いたいこともちゃんと汲めるのです。薬を服用しないと、普通に会話をすることは難しい人が多いんですよね。そして、薬を服用しないナサニエルの意思をちゃんと尊重しているんですね。統合失調症を患ったままの彼をそのまま受け止めているんです。美しいなあ、と思いました。

映画のラストでは、ロペス記者は彼らの友情について語っています。統合失調症の人というのは交友関係を築くことが難しく、孤独な人生を歩んでいる人も多いのですが、彼らの間の友情がナサニエルの脳内物質に変化をもたらしたのではないか、と言っていました。そして、ロペス記者自身も彼の人間関係が良い方向に変化していった、と。

資本主義社会では利益を生まない存在というのは、軽視されているのが事実としてあります。私の働いている人たちのほとんどが政府からの援助を受けています。でも、多くの人たちはとても正直で心の美しい人が沢山います。私は彼らが大好きです。こうした人たちがもっと本来の自分自身でいても、安心の出来る社会というのが出来たら良いなあ、と思います。


私が現在働いている患者さんの中にも、かつてコロンビア大学で言語学を修士課程で勉強していた統合失調症を患うホームレスの女性がいます。この映画を観ながら、彼女のことをずっと考えていました。

ホームレスの人の約8割は精神病か薬物依存症を患っているという統計があります。そうした精神状態では社会に適応することができなくて、やがてホームレスになって行ったのでしょうか・・・。深い問題なので、簡単に結論など出せないのですが、世の中はこうした人たちにとって、もっと優しい環境を作れるはずだろうと思います。そのために自分は何が出来るのかなあと考えます。


話はそれますが、このジェイミー・フォックスという役者さんの演技力には圧倒されましたね。ホームレスの人が持つ独特の雰囲気、上手く言葉では表現できないのですが、なんと言うのかな、社会の概念から逸脱して、自己の世界で完結しているとでも言うのか、表情と言い、私が働いている人たちが醸し出している雰囲気そのままでした。そして統合失調症の独特の口調。素晴らしい役者さんですね。





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by sakurasikibu | 2009-11-28 20:31 | 映画

『アミ 小さな宇宙人』の映画化なるか!?

今日もブログにお越しくださってありがとうございます。

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『アミ 小さな宇宙人』
私の大・大・大好きな本の一冊が『アミ小さな宇宙人』だ。こんなに優しい文体で美しく「愛」を語る本を私は他に知らない。エンリケ・バリオスの著作はこの本がきっかけになって日本語訳になっているものは全て読んだ。バリオス氏のテーマはツインソウルにあるようだ。『魔法の学校』だけはちょっと毛色が違っているけれども。どの著作も良いけれど、やっぱりアミシリーズが秀逸だな、と思う。


本当に感動したので、日本人以外の人ともこの感動をシェアしたいと思って、各国のアマゾンで調べたのだけれど(3年前の話なので今はまた事情が違うかもしれないけど)、日本語とスペイン語でのみ彼の本をふんだんに楽しめる。英語圏の各国でアミは絶版だし、フランスでも。しかも翻訳されているのはシリーズの一作目だけ。どうも日本でのような人気は他国には見られないようだ。でも、どうしても友人とシェアをしたくて、中古本を見たけど、結構な額がついていて買う気になれなかった。色んな人にど~んとまとめて贈って読んでみてもらいたかったんだよね。
エンリケ・バリオスのサイトに行くとe-bookで唯一英語版が購入できる。でも私の個人的な好みだけれど、本は本として読みたいんだよなあ、と思って利用しないまま。

NYに住む友人で同じくアミファンの話によると、アミの映画化は過去何回も途中でなんらかの理由で挫折しているんだ、ということだった。誠に残念だと思っていた。海外での日本のアニメーションの人気ぶりと言ったら、まるで日本人がU2をありがたく思うように若い世代に広く浸透している。リスペクトがあるし、強い影響力を持つ。その日本のアニメでアミを作ったらどうなるか?とてつもない影響力でアミの伝える「愛」が世界に伝わっていくと思うのに、何か手伝えることはないかな、と友人と話していたのを覚えている。

そのアミの映画化の動きが、実はまた出ている!と大好きなブログ「おなすインフォメーション」に行って知った。今度ばっかりは大人しくしていないぞ、と思ってこうしてブログ記事にしています。

アミをご存知のない方はおなすさんのブログ記事(8/25以降分)を読んでみてください。ポイントをついて解説されています。アミを既にご存知でお好きな方は映画化にご協力されてみるのはいかがでしょうか?平和運動を日本の誇るアニメ文化で世界に伝えていくのは素晴らしい方法だと思います。

「アミ 小さな宇宙人」のアニメ映画化を実現するために署名を集めます!

上記のサイトに行くと署名運動に参加できます(ご希望であれば表に名前を出す必要はありません。匿名となって出ますから)。

またこちらがアミの映画化プロジェクトのサイトになっています。プロジェクトの詳しい活動内容が分かります。


―追記―
おなすさんがこの記事をトラックバックしてくださいました。昨日、この記事をアップしたときは映画化に協力するんじゃ~とかなり興奮しながら書いてました。肝心のどうして、そんなに興奮するくらいアミの本が好きなのか書いてませんでしたね。アミの本は「愛」について教えてくれるんです。子どもでも読める平易な言葉でとても深い内容を書いています。文明が進むということは科学の発達ではなく、愛を実践できる力がどれだけ発達しているかということ。善悪で物事を判断しない。人を区別しない。地球は隔てのないひとつの大きな国家となれるということ。戦争も飢えもない世界にこの地球もなれるんだとアミは教えてくれます。何度も読みたいし、子どもにも伝えて行きたい本当に素晴らしい本です。どうか読んでみてください。読むのが面倒な方は映画化にご協力を!

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by sakurasikibu | 2009-08-28 22:47 | 映画

Mostly Martha

今日もブログにお越しくださってありがとうございます。

またまた古い映画のご紹介。
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今回は2001に制作されたドイツ映画、"Mostly Martha(日本語版タイトルは『マーサの幸せレシピ』)"
アメリカでの劇場公開は2002年でした。ドイツ人の友人BBと観に行ったのを覚えています。映画の舞台はドイツのベルリンに次ぐ大きな都市ハンブルクです。運河が多く、その運河に架かっている橋はヴェネチアより多いそう。とても美しい街で皆が憧れる街らしい。この映画には運河は映るけれど、ハンブルクに橋が多いことなんて全く分からぬまま物語は進行して行く。映画のシーンの大部分はレストランのキッチンか、主人公マータ(ドイツ語ではマータと発音している)の台所だから。

劇場で見終わった直後にDVDになったら絶対にまた観たい、と思っていたこの映画。
今回見てもやっぱり、良いなあと思いました。

ワーカホリックのシェフのマータは料理人としての腕は天才的だけれど、人付き合いがどうも上手くできない。レストランで分からず屋な注文を出す客相手につい口論を始めてしまう彼女。外交的手腕はゼロに等しいマータはレストランのオーナーにセラピーに送り出されてしまう。そこでも料理の話しかしない。休日も友人と遊びに出かけることもなく、レシピのことを考えている。そんなマータが事情あって姪っ子のリナを引き取ることになり、そこからドタバタが始まり、彼女の人生に沢山の変化が起きてくる。

マータのことを職人気質と言ってしまえば、聞こえは良いけれど、シェフとしてのプライドがレストランのお客を真に喜ばせることより、自分の料理の完成度の方を優先させてしまう辺りはマータの自我の表れでもあり、人間としての未熟なところ。でも、ここが彼女の魅力でもある。レアのステーキを注文するお客が「もっとレアに焼け」と二度目のやし直しを言ってきたとき、「これ以上どうやってレアに焼けというのか」と怒ったマータは生肉をつかんで、そのお客のテーブルの上にどんっ!と乗せてしまう辺りは天晴れだ。そしてそのままそのレストランを辞めてしまう激情さ加減も、ある意味爽快さを伴う。

几帳面なマータの前に能天気なイタリア人シェフ、マリオ(しかし、能天気な人物がイタリア出身っていうのも随分ステレオタイプな人物設定だと思うけど。名前もマリオって単純過ぎないかなあ・・)も登場し、彼女の価値観を変えてゆく。


こういう人間の日常の機微を描く映画が一番好きだ。物語を自分の身近なものとして捉えられるからだろうか。この映画の派手な見せ場と言えばレストランのキッチンで作られる美味しそうなお料理くらいなものだろうか。地味な映画だ。地味ながらも、私にはもう一つたまらなく好きなものがこの映画にはある。シンプルで美しいフォルムのドイツ家具が沢山出てくる。建築物の内装も良い。マータのアパートや、彼女のセラピストのオフィスなど、とても美しいと思う。

話はちょっと脱線してしまったけれど、この映画を観終えて、このマータという女性はとってもチャーミングだな、と思った。容姿も整って、シェフとしての才能があっても、感情表現が上手く出来なくて世渡りが全く下手。でも、そこが良いんだろうなあ、と。「完璧」じゃないところ、そこが人間としての魅力であり味である、と改めて思わせてくれたこの映画。

私なんぞは自分の人間としての未熟さ加減にときに凹んでみたり、少しでも精神的に成熟した人間になりたいと思ってしまうのだけれど、この映画を観て安心した。この自分のいたらないところが私の人間としての面白さなんだろうな、と。やっぱり「このまんま」で良いんだなあ、とほっとしたのである。


この映画のハリウッド版のリメイクがキャサリン・ゼタ・ジョーンズ主演の「幸せのレシピ」だそうで。こっちは観とりませんが。


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by sakurasikibu | 2009-08-27 20:46 | 映画

『ガンディー』を観る

今日もブログにお越しくださってありがとうございます。

私がここで映画の話をするときはどうしてか古い映画の話になってしまい、申し訳ないのだが、昨日『ガンディー』を観た。1982年に数々のアカデミーを受賞したあの映画である。主演のベン キングズレーは現在65歳だそうで、この映画が公開された当時はまだ38歳の若さ。いやあ、年老いたガンディーを本当に上手く演じていてびっくり。本当に78歳に見えるもの。オスカーを取る俳優さんっていうのはやっぱり只者ではないんですなあ。

全編3時間10分の長い映画。途中でintermission(中休み)入りましたし。ガンディーという非暴力を唱えた偉人を描くにはこのくらいのスケールが必要だったんだろうなあ。

映画の中には、本、そして今ではネットでも沢山見られるガンディーの引用句が散りばめられていた。彼の話す言葉は宗教を超えた大変に深い精神性に満ちている。We are all oneを真に理解している人が伝えられる言葉。私がこれまで読んできた精神世界の本で言われていることと同じ。

映画の中で繰り返されていたある台詞。
"When I despair, I remember that all through history the ways of truth and love have always won. There have been tyrants, and murderers, and for a time they can seem invincible, but in the end they always fall. Think of it--always."
<対訳>「私は失望したとき、歴史全体を通していつも真理と愛が勝利を治めてきたことを思い出す。制圧者や謀殺者はそのときには無敵に見えるが、最後には転落してしまう。どんなときも、それを思うのだ。」

この真理と愛の解釈は簡単ではないよなあ、と見ながら思っていた。どちらの言葉も人間は自分の勝手に解釈しがちだものね。特に愛って言葉は万能のようだけれど、本当に分かっている人は一体どれほど居るのだろうか。私もその途上にある。ごくシンプルな言葉なのに、こんなにも誤解されやすい言葉ってないかもしれない。
ガンディーは他の機会に真理とは神である、と言っている。これまた「神」をどう解釈するかは人それぞれ。私の思うところの愛も神と同義語だ。つまり真理は愛なんだよね。同じことを違う言葉で言っているだけ、と思う。ガンディーにとっての愛はアヒンサー(非暴力・不殺生)をも意味する。彼にとってアヒンサーは手段で、真理は目的だったそうだ。

映画のラストの方でヒンドゥー教徒とイスラム教徒の抗争が収まることを祈願しながら断食をしていたガンディーのもとに若いヒンドゥー教徒が現れて自分は地獄へ行く、と言う。彼は自分の息子を殺したイスラム教徒の子供の頭を壁に押し付けて殺したと言う。ガンディーはその男に向かってその罪を償える方法があると言う。親を亡くした子供を引き取って育てろと。その子供はイスラム教徒の子供でなくてはいけないが、自分の子供と思って育てなさい、と。

宗教の違いから来た殺人という悲劇を償うことは赦し。赦しを施してまた自分も赦されるのでしょうね。赦しについてガンディーはこう言っています。

"The weak can never forgive. Forgiveness is the attribute of the strong."

<対訳> 弱いものは赦すことができない。赦しとは強いものの特徴なのだ。

真の強さとは、赦しができることなんですね。自分の子供を殺された男が復讐をすること。これは歴史を振り返ると人類が『愛』という名の下で繰り返してきた暴力と同じです。それは時に宗教の信条に変わったり、愛国心であったりしました。でも、違うものを赦せない愛は本当の愛ではないんですね。

DVDを観た昨日はきしくも終戦記念日でした。平和な日本という国に生まれ育ち、今もまた戦火とは程遠い地に住んでいる私。自分がのほほんとDVDを見ているその瞬間にも、世界のどこかで起こっている争い、殺し。地球上の全ての人類が真に平和になるまで、人類に本当の自由は来ないのでしょうね。

『ニュー・アース』
の著者エックハルト・トールは、全ての人類は太古からの人類としての記憶ペイン・ボディで繋がっているといいます。このペイン・ボディはユングの言うところの集合的無意識と同じです。私たちは根っこで皆繋がっています。世界の人がみな平和に暮す為に私たちのひとりひとりができることが必ずあるはずです。

『ホ・オポノポノ』
の普及に努めるヒューレン博士は、次の4つの言葉を唱えることで人類が共有する集合的無意識の浄化ができるといいます。

「ごめんなさい」
「許してください」
「ありがとう」
「愛しています」

ガンディーの訴えていることと同じではないですか?

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    平和にお昼寝を満喫中のジンジャー。


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by sakurasikibu | 2009-08-16 23:37 | 映画

レオン

今日もブログにお越しくださってありがとうございます。

本日2回目の投稿、そしてまた古い映画のお話。

先週の金曜日から4連休の只中の私。本当は一向に進まないHPの立ち上げにこの4連休を使うつもりでいたのだけれど、訳あって急遽アパートの本格的整理に時間を当てることにしたんですけど。初日は起きてすぐに張り切って仕事を進めたもの、さすがに3日目ともなると飽きてくるし、疲れも出てきます。で、今日は午後ビデオとDVDも一掃しようと決めたは良いけれど、レベルの付いていないビデオを幾つか発見。そのまま捨てれば良いのについつい何が入っているの?と見てしまった私。一本目は留学前に大好きだった完全版の映画『レオン(英題:The Professional)』。留学後に当時付き合っていた彼がダビングして送ってくれたもの。映画を見ていた当時はジャン・レノ演じるレオンに相当惚れこんでいて、こんな人が理想くらいに思っていた。そんなだから、現実的である結婚に未だたどり着けないでいるんだろうなあ。

12歳の少女役のナタリーポートマン。現在もとても美しい人だし、"Garden State(日本未公開)”、『クローサー』や『ダージリン急行』なんかでは良い演技をしていたけど、でもやっぱりこのレオンで演じたマチルダ役で一番魅力的だった気がするのは私だけか?ロリータの魅力なのか分からないけど、この役を演じた彼女は非常に色気があって、妖しい魅力でタップリだ。精神科でいうところの境界例にあたる要素が沢山あるこの役。境界例の人って傍迷惑なんだけど、それが分かっていても巻き込まれる魅力があって、マチルダはまさにそうだね。12歳ながら、ロシアンルーレットでレオンの気を計る辺りはすごいよ!

そして、はまりすぎて怖いのがゲイリー・オールドマン演じる麻薬捜査官。怖いです、あの演技にあの性格。こんな人には絶対知り合いたくないね。

整理・掃除の途中だってのに、また全部見ちゃいましたよ。何度も見たのにまたおいおいと泣いてしまったんです。ラストのスティングの"Shape of My Heart"がまた泣かせるんですよねえ。この映画を見たときにこの舞台であるNYにまさか自分が住むことになるとは思っても見なかったけど。長く住んでも、こういう裏の世界とは縁のないまま。ええ、この平凡な生活で私は幸せでございます。





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by sakurasikibu | 2009-07-20 23:40 | 映画

Dear God

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久しぶりの更新です。随分とサボっていましたね、私。
7月に入ってから、急に忙しくなってしまって。

今日は4連休の中日。平日に仕事に出かけないというのはなんとも贅沢な気分です。

先日投稿した『神さまは郵便局に住んでいる』と似た内容の映画があることを同僚に教えてもらっていたのですが。やっと見る機会が出来ました。もう13年も前の映画ですねえ。主役のGreg Kinnearは今とそんなに変わらないかも。

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             "Dear God"

いわゆるB級映画なんだけれども、ほのぼのした映画です。ペテン師だった主人公が無効郵便係として、ひょんなことから「神さま」あての手紙に返事をしたことがきっかけになって、無効郵便を扱う仕事仲間みんなで楽しみながら「神さま」宛ての手紙に応えてゆく、というお話。最後は許可なく郵便物を開封していたことを問われて裁判沙汰になるのだけれども。
主人公トムの弁護に当たるのが、その無効郵便室の同僚で元弁護士だったレベッカ(Laurie Metcalf )のエキセントリックな演技が結構笑える。単純なストーリーのこの映画に彼女のコテコテの演技がスパイスを利かせています。

実話を元にしているわけではないようです。『神さまは郵便局に住んでいる』のお話はオレゴン州にあった実話なんだけどね。この実話の方がずっとロマンチックで素敵だなと思う。

映画はカリフォルニア州の話。実際に、神さま宛のお手紙に応えている郵便局の人は他の州にもいるのかなあ。

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by sakurasikibu | 2009-07-20 12:18 | 映画

コーチ カーター

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今週の月曜日は大雪が降り、気温は零下5度だったNYだが、今日は半袖で歩けるほど穏やかな気候だった。寒暖の差が激しいのは困る、と文句を言ったものの、やっぱり暖かい気候のなか外を歩くのは気分が良い。

今日は大学院時代の友人と久しぶりに会う。Hell's Kitchen (映画Sleepersの舞台になったNYの一角。昔は非常に危険な地域だった。過去10年開発が進んで今ではすっかりお洒落なエリアに様変わり)に行くのも久しぶりだった。暖かい気候に釣られ、買ったきりクローゼットで眠っていたミニのワンピースにブーツを履いて出かけた。私の年でこういう格好をしても全く平気でいられるのもこの街の良さだろうなと思う。日本なら誰かに指導を頂きそうだ。
会った友人はとても勤勉で常に計画を立てて生きているタイプで私とは正反対。思いつきで生きている私には学ぶところの多い人。タイプAの彼女も最近はのんびりと生きるのも良いな、と思い始めているそうだけれど。


家に戻って借りたままにしていたDVDを観ることにした。2005年に出来たサミュエル・ジャクソン主演の『コーチ カーター』。こういうスポーツものはまず観ないのだけれど、昔診ていた少年Aが大好きな映画でいつか見ようと思っていた。

4年前の映画なのでストーリーを既にご存知の方もいられるだろうけど、概略を。1999年にあった実話を元にした映画。カリフォルニアのリッチモンドという裕福ではないエリアの高校にカーターがバスケット部の建て直しにコーチとして赴任していくところから映画は始まる。荒廃した高校の生徒達は言葉もマナーも悪く心も荒廃している。カーターはまず言葉遣い、態度から改めさせる。「勝者のように振舞え。そうすれば勝者になれる」と。これは引き寄せの法則だ。コーチに就いたときカーターは子供達と契約を交わした。「成績は平均2.3を取ること」「すべての授業に出席し、最前列に座ること」「試合ではネクタイと上着着用」などの条項が記された契約書にサインを求め、「私についてくれば、勝利の喜びを教えよう」と約束する。スパルタな彼の指導のもと、チームはめきめき力をつけ試合に勝ち続ける。けれどチームの学業成績は散々。チーム全員の成績が上がるまでバスケットの練習禁止として、体育館に鍵をかけてしまう。図書館で教員の手を借りながら子供達の学習指導にあたるけれど、学校側、父兄、地域住民からは厳しく批判されるカーター。それでも彼は信念を曲げない。バスケットだけできても、結局刑務所に行くような人生が待っているだけと。大学に行って、貧困層の人生のレールを変える必要性を得々と説く彼。子供達はコーチを信じ成績を上げ、チームの数人が奨学金で大学へと進学し、ちゃんと学位を取って卒業する、というところで映画は幕を閉じる。

アメリカの事情を良く知らない方にはありきたりの話のように思えるかもしれない。けれど、まさにこういう子供達と働いていた私は感動してずっと泣きながら見ていた。こういう良い指導をしてくれる存在が人生のわずかの期間でもいると子供たちの人生は大きく変わるんだよなあ、と。自分の可能性を信じてくれ、あきらめないで指導してくれる人。秩序のない家庭環境で育った子供達には秩序がもたらす果実を教えてくれる人が必要だ。そして自分にも仲間にも敬意を示すことを何より大切とする。汚い言葉や無礼な言葉を使わせない。言霊のことも知っているカーター。

映画に出てくるクルーズ少年は私の診ていた少年Aを思い起こさせる。少年Aもヒスパニック系で私のいた病棟に来たときはすごく荒れていた。でも、治療が進むにつれこちらを信用してくれ、彼の繊細な部分をシェアしてくれるようになった。その少年Aがあるとき自分の日記を私に見せてくれた。この映画の中のクルーズ少年が映画の最後の方に言う台詞を書き写していたのをシェアしてくれた。
以下その台詞。

Our deepest fear is not that we are inadequate.
Our deepest fear is that we are powerful beyond measure.
It is our light, not darkness that most frightens us.
Your playing small does not serve the world.
There is nothing enlightened about shrinking so that other people won't feel insecure around you.
We were all meant to shine as children do.
It's not just in some of us, it is in everyone.
As we let our own light shine, we unconsciously give other people permission to do the same.
As we are liberate from our own fear, our presence automatically liberate others.



その頃はこの台詞にどれほどのスピリチュアルなメッセージが込められているか良く分かっていなかった私だが、でもすごく心に響いて残っていた。
少年Aはその当時まだ13歳だった。頭が良くて感受性の強い彼。今頃はきっと周囲を照らす光となっていることだろう。




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by sakurasikibu | 2009-03-07 23:41 | 映画