ヒプノセラピー 体験リポート2

今日もブログにお越しくださってありがとうございます。

先日のヒプノ体験レポートの続き。

ヒプノ(催眠)セラピーというと、その名前からして疑念を持つ方もいるかもしれない。なにか怪しいもののようだと。自分の意識のないところで、勝手に催眠をかけられたらどうなるの?というような心配。そんな諸氏の方々、ご安心を。意識はあるままですから、心配は要らない。催眠効果によって深くリラックスした状態へと導かれ、潜在意識にアクセスしやすくなる。通常活動時の脳波はベータ波であるが、リラックスした状態でアルファ波を出す。さらにリラックスするとシータ波が出る。リラックスした状態では、普段ブロックがかかっているような根深い問題の原因などにダイレクトに働きかけることができ、問題解決の向上に繋がる。

さて、私は先日のセッション中に面白い気付きがあった。『才能・カリスマ性を引き出す』というタイトルのついたワークショップ。私はカリスマ性を「引き出す」というより、「身に着ける」という感覚でいたようだ。何か特別のものを身に着けるような感覚。
セッション中に博子さんが「カリスマ性のある人は自分自身でいることに居心地の良さを覚えています。・・・他人からの評価に動じない・・・」と話される。 
それを聞いた瞬間、私は「なんだ、そういうことか。それなら知っているなあ。それに私はもう十分自分でいることに居心地が良いと思っているな」と。
でも次の瞬間、「えっ、本当?本当にそう思っているの?」という声が心の中でする。
そしてやっぱりまだ人からの評価を気にしている自分がいることに気付く。

私は公立病院の精神科勤務をしているセラピスト。アメリカ東海岸の精神医療は西海岸より遥かに保守的だ。加えて公立病院は私立病院より更に保守的。ホリスティックなアプローチについて治療会議のときに話題になったことなど皆無である(代替治療は健康保険制度が適用されないことがほとんどなのでそれも大きく関わっている)。ヒプノセラピーについても理解・関心はとても少ない。かつて勤めていた一人の臨床心理士がヒプノセラピーを心得ていたが、彼はヒプノを病院の治療で使ったことはなく、彼の個人開業時のみ使っていたようだ。その彼が病院を去ってからは9つもの精神科入院病棟に加え、7つの通院プログラムのあるマンモスな精神医療をほどこす我が病院でヒプノを取り入れている医師・セラピストは一人もいない。

私の勤務先では毎日、幻聴・幻覚、または激しい妄想を訴えてやってくる患者さんのあとが絶えない。彼らは強い幻聴・幻覚・妄想の為日常生活に支障をきたしてる。我々は彼らに病名を与え治療する。幻聴・幻覚・妄想が治まると病気が改善したとみなす。

でもサイキックの人が見えたり、聞こえたりすることも通常の感覚では感知できないものだ。「どう違うのか?」と疑問に思う。仲の良い精神科医たちに何度か、「PsychicとPsychoticってどう違うと思う?」と何度か聞いたことがあるけれど、「万葉はどう思うの?」と聞き返されるばかり。「現実が分かっているかいないかの差かな」とかつては答えていたけれど、今は正直良く分からない。何をもって絶対の現実があるとするのか? 私には分からない。私達の見ている世界はどれも各人の目を通して見ているものだ。Aという事象に各々が各々のレンズとフィルターを通してみてるものがどうして全て等しく同じであろうか? 我々が現実とみなしているものは単にその「見た」結果の違いの差が小さく、現実だとして共有しているだけなのではないのだろうか。その差の大きい人は”psychotic"と言われるのか?

目に見えないものを信じることをおかしいとするなら、宗教を持つことも妄想になってしまう。この世に数多くある宗教にしても、もとは同じであろう生命の源を違う目で見ていることに気が付かないから抗争が始まる。一神教のひとには多神教のひとが気違いに思えるかもしれない。

『神との対話』などのチャネリング本に心から感動した話も同僚にはし辛い。ごく仲の良い同僚にもさらりとしか話せない。ましてプレアデスだの、地球外生命とチャネルして出来た本の話などありえない。「何たる妄想か!」と言われそうだ。私は職場のほかにもいくつかのセラピスト団体と関わっているが、そういった話は一切しない。アカデミック(学術的)なアプローチをするセラピーの話はOKでも「エネルギーが・・・」とか「波動が・・・」という話はありえない。でも『ザ・シークレット』などの引き寄せの法則を患者さんに伝えることはとても有益だろうと私は思っている。引き寄せの法則という名前は出さないけれど、私のセッション中はそういう考えも可能であるという紹介はしている。自分の人生は他人の力によるものでなく、自分の選択で誰もが変化を起こすことができると。

私が過去3年、精神世界にどっぷりと漬かっていることはこのブログ上でも何度かお伝えした。2年近くブログが書けないでいたのも、自分の興味に正直になることが自分の立場上し辛いと思っていた。それにこのブログのことは日本にいる友人にも伝えてあって、「チャネリング本とか言っているけど、万葉は大丈夫なのか?」と思われるかもなあ、とどこかで思っていたようだ。そういう懸念も去年辺りから吹っ切れて、ブログを再開した訳だけれど。でも私がセラピストとして関わっているいる人々にはこういう面は見せないで置いたほうが良い、とまだ思っているようだ。

人が私をJudge(判断・評価)するまえに私自身が決め付けていたようだ。「セラピストとしてはこうあるべき」と。この辺りをもっと気楽に考えられるようになると良いんだろうなあ、と気付いた。こういう気付きが早く起きたのもヒプノの効果だろうと思う。博子さんどうもありがとう。


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by sakurasikibu | 2009-03-06 11:30 | ヒプノセラピー